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ニコライ氏や徳川家の寄付があった

真宗大谷派が進めている明治時代の文書調査で、御影堂と阿弥陀堂が再建された当時の文書に、ロシアのニコライ皇太子(後の皇帝ニコライ二世)や、徳川家16代当主家達が東本願寺に建設費を寄付したことを示す文書が確認されました。事実関係そのものは分かっていましたが、寄付を受け取った僧侶が書き留めた原本が確認されるのは初めてです。
 御影堂と阿弥陀堂は、江戸末期の禁門の変の火災で焼失。明治初期の1879年から再建事業が始まり、95年に完成。
 ニコライ皇太子は、1891(明治24)年5月10日に東本願寺を訪れ、200円を寄付した。このことは「金弐百圓也 露西亜国皇太子ニコラス殿下」と僧侶が書き留めた「志納帳」であらためて確認されました。

 志納帳は、寄付金額や氏名を都道府県ごとにまとめた冊子で、割り印があることから領収書のようなものを発行していた可能性があるといます。ニコライはその翌日、大津事件に遭い、沿道警戒中の巡査津田三蔵にサーベルで切られ、負傷しました。

 徳川家からは、再建事業が始まった1880年、慶喜の跡を継いだ家達から東京にあった同派東京事務所に寄付が寄せられました。東京事務所から本山への報告書「御再建御達併伺留」の記述には、徳川家が江戸時代に東本願寺を保護したよしみから「祖先ノ由緒ニ対シ甚僅少ノ至リ候得共…」と400円を寄付したとの記述がありました。この文書には、家達が留学中だったため、勝安芳(勝海舟)が代理として寄付金を送ったことや勝に対して当時の法主から礼状が書かれたことも記録されています。
by riptulip | 2007-08-16 21:17
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