西本願寺が、罪犯した女性の自立支援 宿泊場所や食事を提供

 浄土真宗本願寺派はこのほど、右京区太秦安井二条裏町の女性専用の更生保護施設「西本願寺白光(びゃっこう)荘」を、総事業費3億700万円をかけ改築。概要を発表しました。
 刑務所や少年院を出たり保護観察中の人のうち、帰る家や家族がない人に宿泊場所や食事を提供、早期の社会復帰をうながすとのことです。白光荘は近畿唯一の女性専用施設で、5月の大型連休明けから受け入れを始めるようです。
 建物は、鉄筋コンクリート2階建て、定員を従来より5人増やし20人とし、地域住民と交流する集会室も設けています。

 なんでも法務省によると、更生保護施設は更生保護事業法に基づき全国に101(うち女性専用は7)あり、入所者数は例年1万人前後あるそうです。
 主に、宗教法人などの民間団体や篤志家が運営しているが、どうも経営は苦しい施設が多いようです。
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# by riptulip | 2005-04-15 20:53

西本願寺門主が立命館大学で講義

 4月11日、浄土真宗本願寺派の大谷光真門主(59)が、立命館大でリレー講義「現代社会と宗教」の第1回の講師を務めました。
 これは、宗門校の龍谷大以外で教壇に立ったのは初めてのことです。聴講生は、学生や社会人など約1000人。
 問題は講義の内容ですが、物質や地位、名誉なども求める上での人間の苦しみや不安に、宗教が対応すると説明したようで、「葬式仏教」と批判される点については、「寺が葬式以外に力を入れないとしたら問題。ただ、人が死ぬことを身近に体験する大切さは強調し過ぎることはない」と話したそうです。
 でも、葬式に一番力を入れているのでは? 葬式以外の何に力を入れるのかが、これまた問題だと思いますが、いかがでしょう。世界遺産を守ることですか?それとも、ボランティアですか?それとも……
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# by riptulip | 2005-04-12 21:30

真宗大谷派で全戦没者追弔法会

 春の法要が続く真宗大谷派本山・東本願寺では、4月2日、全戦没者追弔法会がありました。参列者は、門信徒ら約800人。法要や講演会などが行われました。

 この追弔法会は、宗祖親鸞の御誕生会とともに「春の法要」の中心行事で、毎年実施しているそうです。

 阿弥陀堂では、大谷暢顕門首は「ともに生きあえる世界への道を歩まんことをここに誓う」といつもの調子の言葉。そして、作家の高史明氏が「『念仏往生』の大地に立つ」と題して講演しました。しかし、その内容は「仏の願いは2度と戦争をするな」といったものだそうで、反戦をうたうのはいいのですが、逆に甚遠なる仏法を薄っぺらにしているような気がしてなりませんが……。
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# by riptulip | 2005-04-03 21:27

東本願寺で「春の法要」

 真宗大谷派の「春の法要」が4月1日、京都の東本願寺で始まり、親鸞聖人のご生誕を祝う御誕生会の音楽法要などが営まれました。
 この音楽法要は、1961年の親鸞700年御遠忌の際に法要をだれもが親しめる形に、と始まったものだそうです。供灯や供華、焼香など一連の法要の進行に沿って、約1時間の混声4部コーラス形式にしているそうです。

 この日、約1800人の参拝者で埋まった阿弥陀堂では、大谷派合唱連盟の男女約140人が電子オルガンやティンパニーの演奏に合わせ、親鸞聖人のご和讃などをメロディーに乗せて高らかに歌いました。その合間に大谷暢顕門首が宗祖への感謝の言葉を述べ、参列の門信徒が独特の節で唱和する「正信偈」が響きました。
 音楽を使うのはいいですが、ご和讃に込められた親鸞聖人の教えを、参拝者はきちんと聞かされたのでしょうか。真宗の教えを正しく理解してこその、宗祖への感謝だと思いますが、ただの「歌会」で終わってほしくない、と思うばかり。

 春の法要は5日まで。2日は宗門の戦争責任への反省を込めて「全戦没者追弔法会」が営まれるそうですが、どのように反省しているのでしょうか。
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# by riptulip | 2005-04-02 12:03

「お東紛争」最終決着? 大谷光道氏、門首邸を退去

 真宗大谷派の故大谷光暢前門首の四男光道氏(60)が3月31日、境内の門首邸を退去したそうです。
 「お東紛争」と言えば、1969年から27年間続き、光道氏は前門首とともに内局(宗派)と対立、宗派を離脱していました。
 これで、大谷家唯一の遺産相続者が本山を去り、紛争は名実ともに最終決着した、そうです。

 光道氏は「右京区に建設する新寺院の名を大谷本願寺としたい」とあいさつし、同派の寺宝のうち、伝統行事「蓮如上人御影道中」で用いる蓮如の肖像画や親鸞直筆と伝わる「尊号真像銘文」など大谷家所有の物を運び出しました。
 そもそも、光道氏の退去は、宗派側が明け渡しを求めた訴訟で昨年和解した結果だそうで、光道氏は今後、「大谷本願寺」なる新寺院で、宗教活動を続けるそうですが、さてはて、どんな活動になるか、気になるところです。
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# by riptulip | 2005-03-31 21:40

大分の真宗寺院で人形供養

大分県日田市亀山町、真宗大谷派・専念寺の平野法好住職(54)が、ひな人形の供養に乗り出したようです。
3月29日、「不用になったひな人形や道具類を、全国から引き受けます」と公表。

 なんでも、これまでに供養を兼ねて引き取った人形は約200体あるそうで、3年前から2月15日〜3月末に公開しているそうです。あいかわらず引き取りの相談が多い為、本格的な“ひな人形の寺”を決意した模様。

 「ひな人形にもう一度、晴れの舞台を提供してあげたい」とのことですが、人形供養なるものは浄土真宗では無い話ですし、そもそも「雛壇」そのものが、真宗とは相容れないものだった筈ですが、どうなんでしょう?
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# by riptulip | 2005-03-29 22:33

名古屋東別院で平和展

  3月17日より23日まで、平和展「もうごめん 国益・ヤスクニ・自衛隊」、名古屋市の真宗大谷派名古屋別院(東別院)で行われました。ちょっとセンスのない題名ですが。

 これで16回目を数えるそうで、今年は、憲法や教育基本法改正、自衛隊イラク派遣など現在の動きに対応する形で過去の動きを紹介。戦中の東本願寺の東アジア布教所地図や従軍僧の証言、寺院の本尊横に置いた天皇をあがめる「天牌」など約100点を展示して、大谷派が戦争に加担したことを明らかにしているそうです。

 しかし、別院で展示会を行うのなら、平和を訴えるだけに止まらず、きちんと真宗の教えに基づいた平和、人命の尊さを明らかにしてほしいと願います。
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# by riptulip | 2005-03-24 22:02

ペット供養は「課税対象」  (名古屋地裁の判決)

 「ペット供養」は人の供養と同じ宗教行為で、課税されるべきではないとして、愛知県春日井市の宗教法人「慈妙院」(渡辺円猛(えんみょう)住職)が税務当局を相手取り、供養料への課税約500万円の取り消しを求めた訴訟の判決が3月24日、名古屋地裁でありました。
 ここで加藤幸雄裁判長は「ペット供養はビジネスとして民間業者が行う葬祭業と類似しており、同様に課税されるべきだ」と、寺側の訴えを退けました。

 これが、寺院でのペット供養が課税されるかどうかをめぐる司法の判断は初めてといいます。寺側は控訴する方針のようです。 ……でも、民間業者の葬祭業と寺院との線引きって、どこでなされているのでしょう……疑問。

 ともあれ、寺側は「ペットの霊の鎮魂と飼い主の心を癒やし、宗教行為にあたる」と主張。非課税である針、人形の供養を持ち出し、「ペット供養も同じように扱うべきだ」と指摘。 「飼い主に精神的な救いや癒やしを与えており、宗教行為と考える」とする財団法人「全日本仏教会」の意見書を提出しました。
 確かに、言われてみれば、そうですね。

 これに対し、税務当局側は「ペット供養は民間業者でもでき、課税対象にあたる」と反論しました。そうなると、人間の場合も民間業者でもいい訳なのでしょうか?

 渡辺住職は「宗教法人は供養が中心で、民間業者は火葬場などの施設の提供を主としており、明確な違いがある。今後、争って明らかにしたい」ということなのですが、おそらくその線引きがうまくできていなかったのだろう、と推測。

 正直、「供養」とは何なのか、よくよく考えてみるべきなのでしょう。宗教法人の税金逃れだと叩かれる前に。
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# by riptulip | 2005-03-24 13:04

大谷派が本願寺分裂に新設

 本願寺の東西分裂(1602年)は、徳川家康の謀略が通説になっておりますが、真宗大谷派は、弟に門主を譲った教如が独立を求めて家康に近づき分派を果たしたとする新説を紹介した本「教如上人と東本願寺創立」(同派教学研究所(玉光順正所長)編)を出版しました。
 そもそも通説では、父顕如上人の没後、豊臣秀吉の命令で門主に就いた弟准如と教如の確執から門徒勢力が2分したのに目を付けた家康が、巨大教団の弱体化を画策し東西に分裂させたとされていました。
 新著は、教如が秀吉に「隠退」を命じられた後も門徒と宗教活動を続けたことから「本願寺を別立させる強い意志を持っていた」と指摘しています。

 家康との仲介を家臣に依頼する教如直筆の書状や、関ケ原の合戦前後に教如が家康と何度も会ったことを示す史料を紹介し「秀吉の次は家康の天下と読み、茶人千利休の人脈などを駆使し家康に接近した」と推論しています。
 その上で家康から1602年、現在の西本願寺近くに土地の寄進を受け、東本願寺を創建したと結論づけています。

 しかし、「門徒と宗教活動を続けた」=「本願寺を別立させる意志を持つ」とは、直に言えないと思いますし、また、関ヶ原合戦前後に家康と会っているからといって、それは家康の謀略ではないとは言い切れないと思いますが、あくまで学説ですからね。
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# by riptulip | 2005-03-21 23:43