<   2006年 04月 ( 5 )   > この月の画像一覧

東山・大谷本廟 謎の石窟

 浄土真宗本願寺派の宗祖親鸞の墓所・大谷本廟内にある石窟が、江戸時代には親鸞の「学室」として信仰の対象となっていたことが分かりました。石窟の前で人々が合掌している挿絵や石窟の用途を記した史料が確認されたためで、同派は「真偽は不明」としながらも、付近に説明パネルを設置しました。

 石窟は境内のほぼ中央にあり、長さ約7メートル、最大幅2メートル、高さ約2メートル。地中に掘り込まれ、天井部は直径1−2メートルの石で覆われるなど古墳時代の横穴式石室に似ています。
 17世紀初め、大谷本廟が吉水から移転され、再興後しばらくして築造されたと推定され、一昨年行われた調査では、寺宝などの収蔵庫と見られていました。
 ところが、1665(寛文5)年の京名所図絵「扶桑京華志」で、「石窟は親鸞の学室なり」との記述があることが判明。2年後に出た「京童跡追」にも同じような説明があり、門信徒が石窟に向かって手を合わせる様子が描かれた挿絵も見つかりました。
 石窟は親鸞が没して300年以上後に造られており、記述自体の信ぴょう性に疑問も残りますが、同派は「江戸時代に石窟が信仰の対象となっていたことは確か。謎の多い石窟がここにある意味や昔の信仰の一面を知ってほしい」と説明しています。
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by riptulip | 2006-04-24 21:16

山科本願寺跡で、中国の漆製品「堆黒」破片国内初出土

 京都市山科区の山科本願寺跡から昨年末出土した遺物から、日本でこれまで出土例がない中国製の漆製品「堆黒」が見つかりました。
 堆黒は木に黒漆を百層近く塗り重ね、細かい彫刻を施しています。5ミリ−2センチ程度の破片が100点余り出土しました。尾長鳥の羽やボタンの葉とみられる文様などが精巧に彫られ、元の時代(13−14世紀)の作とみられます。遺物は他にも蒔絵や天目茶碗、青磁・白磁など約1200点が出土しました。

 山科本願寺は浄土真宗中興の祖・蓮如が造営、1532年に法華宗徒らにより焼き打ちされました。当時の公家の日記は、残された財宝を求めて人々が群れ集い、死者が出るほどだったと伝えています。
 遺物は27日から5月7日まで京都市上京区の市考古資料館で展示されるそうです。
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by riptulip | 2006-04-20 22:07

真宗大谷派の「御影道中」出発

 浄土真宗中興の祖・蓮如の肖像画「御影」とともに、真宗大谷派本山・東本願寺から吉崎別院(福井県あわら市)を歩いて往復する恒例行事「御影道中」が17日、東本願寺を出発しました。参加は門信徒約40人。
 東本願寺の阿弥陀堂で御下向式が営まれ、御影が輿に納められた。続いて供奉人と呼ばれる門信徒が輿をリヤカーに載せ「蓮如上人さま、東本願寺をおたーちー」の掛け声を合図に出発しました。
 吉崎で法要の後、5月9日に東本願寺に戻る予定。
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by riptulip | 2006-04-17 21:05

蓮如上人御影の修復完了

 本願寺中興の祖、蓮如上人の肖像画「蓮如上人御影」の修復が終わり、故大谷光暢・前真宗大谷派門首の四男大谷光道氏(61)が京都市右京区に建設中の大谷本願寺で13日、披露しました。
 肖像画は縦97センチ、横39センチ。かつて下京区の真宗大谷派が伝統行事「御影道中」で使っていましたが、1999年の裁判で光道氏に所有権が確定していました。
 絹本の肖像画は江戸時代初期の制作と伝わりますが、傷みが激しく、昨年7月から欠損部分を補修していました。4月23日から5月3日にかけて光道氏が独自に行う「御影道中」で使われるそうです。
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by riptulip | 2006-04-14 22:34

東本願寺で音楽法要(春の御誕生会)

 4月1日、真宗大谷派の「春の法要」が、本山の東本願寺で始まり、宗祖親鸞の生誕を祝う御誕生会の音楽法要などが営まれました。
 音楽法要は、供灯や供華、焼香などの法要の進行に沿って混声四部合唱を織りまぜ、宗祖の生誕の感動を表現する形式にしているものです。
 約1500人の参拝者で埋まった阿弥陀堂では、同派合唱連盟の男女約130人が電子オルガンの演奏に合わせ、親鸞が残した和讃などをテノール独唱やコーラスで高らかに歌いました。合間には参列した門信徒が正信偈を唱和。
 この法要は4日まで。
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by riptulip | 2006-04-01 21:03