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「お東紛争」最終決着? 大谷光道氏、門首邸を退去

 真宗大谷派の故大谷光暢前門首の四男光道氏(60)が3月31日、境内の門首邸を退去したそうです。
 「お東紛争」と言えば、1969年から27年間続き、光道氏は前門首とともに内局(宗派)と対立、宗派を離脱していました。
 これで、大谷家唯一の遺産相続者が本山を去り、紛争は名実ともに最終決着した、そうです。

 光道氏は「右京区に建設する新寺院の名を大谷本願寺としたい」とあいさつし、同派の寺宝のうち、伝統行事「蓮如上人御影道中」で用いる蓮如の肖像画や親鸞直筆と伝わる「尊号真像銘文」など大谷家所有の物を運び出しました。
 そもそも、光道氏の退去は、宗派側が明け渡しを求めた訴訟で昨年和解した結果だそうで、光道氏は今後、「大谷本願寺」なる新寺院で、宗教活動を続けるそうですが、さてはて、どんな活動になるか、気になるところです。
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by riptulip | 2005-03-31 21:40

大分の真宗寺院で人形供養

大分県日田市亀山町、真宗大谷派・専念寺の平野法好住職(54)が、ひな人形の供養に乗り出したようです。
3月29日、「不用になったひな人形や道具類を、全国から引き受けます」と公表。

 なんでも、これまでに供養を兼ねて引き取った人形は約200体あるそうで、3年前から2月15日〜3月末に公開しているそうです。あいかわらず引き取りの相談が多い為、本格的な“ひな人形の寺”を決意した模様。

 「ひな人形にもう一度、晴れの舞台を提供してあげたい」とのことですが、人形供養なるものは浄土真宗では無い話ですし、そもそも「雛壇」そのものが、真宗とは相容れないものだった筈ですが、どうなんでしょう?
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by riptulip | 2005-03-29 22:33

名古屋東別院で平和展

  3月17日より23日まで、平和展「もうごめん 国益・ヤスクニ・自衛隊」、名古屋市の真宗大谷派名古屋別院(東別院)で行われました。ちょっとセンスのない題名ですが。

 これで16回目を数えるそうで、今年は、憲法や教育基本法改正、自衛隊イラク派遣など現在の動きに対応する形で過去の動きを紹介。戦中の東本願寺の東アジア布教所地図や従軍僧の証言、寺院の本尊横に置いた天皇をあがめる「天牌」など約100点を展示して、大谷派が戦争に加担したことを明らかにしているそうです。

 しかし、別院で展示会を行うのなら、平和を訴えるだけに止まらず、きちんと真宗の教えに基づいた平和、人命の尊さを明らかにしてほしいと願います。
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by riptulip | 2005-03-24 22:02

ペット供養は「課税対象」  (名古屋地裁の判決)

 「ペット供養」は人の供養と同じ宗教行為で、課税されるべきではないとして、愛知県春日井市の宗教法人「慈妙院」(渡辺円猛(えんみょう)住職)が税務当局を相手取り、供養料への課税約500万円の取り消しを求めた訴訟の判決が3月24日、名古屋地裁でありました。
 ここで加藤幸雄裁判長は「ペット供養はビジネスとして民間業者が行う葬祭業と類似しており、同様に課税されるべきだ」と、寺側の訴えを退けました。

 これが、寺院でのペット供養が課税されるかどうかをめぐる司法の判断は初めてといいます。寺側は控訴する方針のようです。 ……でも、民間業者の葬祭業と寺院との線引きって、どこでなされているのでしょう……疑問。

 ともあれ、寺側は「ペットの霊の鎮魂と飼い主の心を癒やし、宗教行為にあたる」と主張。非課税である針、人形の供養を持ち出し、「ペット供養も同じように扱うべきだ」と指摘。 「飼い主に精神的な救いや癒やしを与えており、宗教行為と考える」とする財団法人「全日本仏教会」の意見書を提出しました。
 確かに、言われてみれば、そうですね。

 これに対し、税務当局側は「ペット供養は民間業者でもでき、課税対象にあたる」と反論しました。そうなると、人間の場合も民間業者でもいい訳なのでしょうか?

 渡辺住職は「宗教法人は供養が中心で、民間業者は火葬場などの施設の提供を主としており、明確な違いがある。今後、争って明らかにしたい」ということなのですが、おそらくその線引きがうまくできていなかったのだろう、と推測。

 正直、「供養」とは何なのか、よくよく考えてみるべきなのでしょう。宗教法人の税金逃れだと叩かれる前に。
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by riptulip | 2005-03-24 13:04

大谷派が本願寺分裂に新設

 本願寺の東西分裂(1602年)は、徳川家康の謀略が通説になっておりますが、真宗大谷派は、弟に門主を譲った教如が独立を求めて家康に近づき分派を果たしたとする新説を紹介した本「教如上人と東本願寺創立」(同派教学研究所(玉光順正所長)編)を出版しました。
 そもそも通説では、父顕如上人の没後、豊臣秀吉の命令で門主に就いた弟准如と教如の確執から門徒勢力が2分したのに目を付けた家康が、巨大教団の弱体化を画策し東西に分裂させたとされていました。
 新著は、教如が秀吉に「隠退」を命じられた後も門徒と宗教活動を続けたことから「本願寺を別立させる強い意志を持っていた」と指摘しています。

 家康との仲介を家臣に依頼する教如直筆の書状や、関ケ原の合戦前後に教如が家康と何度も会ったことを示す史料を紹介し「秀吉の次は家康の天下と読み、茶人千利休の人脈などを駆使し家康に接近した」と推論しています。
 その上で家康から1602年、現在の西本願寺近くに土地の寄進を受け、東本願寺を創建したと結論づけています。

 しかし、「門徒と宗教活動を続けた」=「本願寺を別立させる意志を持つ」とは、直に言えないと思いますし、また、関ヶ原合戦前後に家康と会っているからといって、それは家康の謀略ではないとは言い切れないと思いますが、あくまで学説ですからね。
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by riptulip | 2005-03-21 23:43