幻の東照宮分社、東本願寺に

 真宗大谷派の本山・東本願寺(京都市下京区)境内に建立されながら、幕末の禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)の大火で焼失した日光東照宮の分社の規模や外観が、東本願寺に残された史料から確認された。公武合体で孝明天皇の妹・和宮と結婚した徳川家茂(いえもち)の京都訪問に合わせ建立されたとみられ、幕末の京都を舞台にした幕府の宗教政策の一端がうかがえる。

 建立されたのは「東照宮御霊殿」で、徳川家康をまつる日光東照宮の分社にあたる。1862年に落成し、2年後の大火で東本願寺境内が被災した際に焼失した。

 これまで棟札の記録のほかに手がかりがなく、一般には知られていない幻の東照宮だった。ところが数年前に東本願寺の幕末史料約6千点が見つかり、真宗大谷派と大谷大が鳥瞰図(ちょうかんず)などを確認した。

 調査によると、阿弥陀堂の南西に隣接する南北30メートル、東西60メートルほどの敷地に築地塀を巡らせ、大規模な唐門や回廊のある拝殿が建立された。参道が延び、唐門をくぐって拝殿に参拝したらしい。「幕府が用材を準備しており、威信をかけた事業だったことは疑いない」と、調査を進める真宗大谷派総務部の近松誉(ただし)・次長はみている。

 東本願寺は、1602年に徳川家康から境内地の寄進を受けて建立されており、幕府との関係は深かった。分社建立の翌年(1863年)には14代・家茂が、徳川将軍として約230年ぶりに京都を訪問。孝明天皇と会見し、東本願寺にも立ち寄った。

 確認された史料には家茂や15代・慶喜の両将軍ほか、京都守護職だった松平容保(かたもり)・会津藩主の記録もある。大谷大の木場明志教授(日本近世・近代宗教史)は「公武合体を進めた幕府が、家茂の上洛(じょうらく)を前に、将軍の宗教的権威を京都で誇示したのではないか。あまり文献が残されていない幕末の会津藩の史料としても期待できる」と指摘する。

 東照宮御霊殿など東本願寺の幕末史料の一部は各地を巡回する「東本願寺の至宝展」(東京は30日まで日本橋高島屋)で公開される。
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by riptulip | 2009-03-31 19:55
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